John Richard Deacon

 経歴

女装したジョン

 1951年8月19日、レスターシャーのオードビーに生まれ育つ。
 7歳の頃に両親から買い与えられた、おもちゃのギターから音楽に興味を持つ。
 14歳から「ジ・オポジション」というバンドにリズムギターで加入するが、
 ベーシストの脱退によりベースに転向する。
 ロンドン大学のチェルシー・カレッジ 電子工学科に入学、首席で卒業し名誉学位を与えられる。

 1971年1月に友人のクリスティン・ファーネルと行ったディスコで、
 ファーネルの友人であるブライアン・メイとロジャー・テイラーに会い、
 ベーシストが定着していなかったクイーンのオーディションを受け採用された。

 クイーンのオリジナルメンバーの中で最年少。
 温厚な人柄で、メンバー間の衝突で訪れたバンド解散の危機を幾度も救った。
 ベース以外にもピアノなどの演奏も出来るマルチプレイヤーである。
 また、ドラムも少々たしなむ。


 ボーカルをしなかったことや、バンド内では最年少だったこともあり、当初ディーコンの存在感は薄く、
 他の3人に比べると作曲を始めるのは遅かったが、3枚目のアルバム『SHEER HEART ATTACK』収録の
 「Misfire」で初めて自作曲が採用され、
 4枚目のアルバム『オペラ座の夜』では2曲目の自作曲
 「Your're My Best Friend」が収録され、全英7位、全米16位のヒットとなった。
 さらに全世界で700万枚セールスを挙げたマーキュリー生前のクイーン最大のヒット曲
 「Another One Bites The Dust」(全米1位、全英7位)、
 世界数カ国でナンバーワンヒットとなった「I Want To Break Free」など、
 QUEENの代表作となる曲を発表し、バンド内での存在感を増していった。

 現在は音楽活動から事実上引退している。


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