愛工大名電時代から地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得(ポジションは三塁手で打順は主に1 - 3番)。また、2年時に夏の甲子園(左翼手として出場)、3年時に春の甲子園(投手として出場)と2度甲子園に出場した経験を持つが、いずれも初戦敗退に終わっている。松井秀喜(当時星稜高等学校、1学年下)とはこの頃から練習試合を通じて面識があった。
高校3年間の通算成績は536打数269安打、打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131。特に3年時の地方大会での打率は7割以上を記録している。高校時代は投手だったが、交通事故(自転車での通学中に車と接触している)による怪我が原因で投球フォームが崩れ、野手転向を余儀なくされる。投手としても有力な選手として当時から名前が挙がっていた。
イチローは、1991年のドラフト会議を前に、地元球団であることに加え、目標としていた藤王康晴・田尾安志が所属しており、幼少期からファンだった中日ドラゴンズを希望していた。イチロー本人だけでなく、父・宣之も、「子供のころからドラゴンズのファンだったし、せめて3位ぐらいまでに(中日が)指名してくれればいい」と思っていたという。
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 |
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1位 | 田口荘 | 内野手 | 関西学院大学 |
2位 | 萩原淳 | 内野手 | 東海大学甲府高 |
3位 | 本東洋 | 投手 | 三菱重工長崎 |
4位 | 鈴木一郎(イチロー) | 投手 | 愛知工業大学名電高 |