悲劇の歴史

リヴァプールFCはあのレアルマドリードよりも歴史は長く1892年の創設。イングランドリーグ設立時から参加している22クラブのうちの1つです。

歴史は長いだけでなく、輝かしい時代を過ごしてきました。特に、1960~1980年代の約30年間では黄金時代を迎えます。リーグ優勝からはほぼ2年に1度、計13回のリーグ優勝、4回のヨーロッパ王者に輝きます。しかし、栄光の時代はあるふたつの悲劇によって失われます。

1985年 ヘイゼルの悲劇

1984-85シーズン
ヨーロッパ王者を決めるチャンピオンズカップ決勝に開催されたユベントスvsリヴァプール

試合開始前に、両チームのサポータ同氏が 小競り合いをきっかけに衝突し暴徒と化し リヴァプールサポーターがユヴェントスサポーター側のスタンドへなだれ込み その攻撃からユヴェントスサポーターは逃れようとスタジアムの壁をよじ登りますが、 老朽化の進んだヘイゼルスタジアムはその重量に耐えられず壁が崩壊。 死者39人を出す大惨事となってしまいます。結果的にユヴェントスサポーターが多くの命を落とし、 リヴァプールの"フーリガン"が起こした暴動として認識されています。この試合に出場した、 当時のフランス代表プラティニは「人生最悪の試合」と明言していました。 2021年現在でも両チームは追悼の念を忘れません。この事件により、リヴァプールは7年間の国際大家出場停止 の処分を受けることになります。


1989年 ヒルズボロの悲劇

ヘイゼルの悲劇から4年後となる1989年、今度はリヴァプールサポーターに悲劇が訪れます。 1988-89シーズン、国内カップ戦の準決勝、リヴァプールvsノッティンガム・フォレスト。 試合の会場には両チームの中立地であるヒルズボロスタジアムにて開催されました。FAカップ と言えば国内カップ戦ではありますが歴史と伝統のあるカップ戦と知られ、多くのサポーターが スタジアムに押し寄せます。この日は24,000人リヴァプールサポーターが訪れ、ゴール裏の立ち見席は すでに満員だった。それでもさらに観客は押し寄せ、スタジアムの外には多くのサポーターで 溢れかえっていました。見かねた警備員、警察はゲートを開放し入場を許可します。その結果、 焦ったサポーターがなだれ込み、人が人で押しつぶされる状態、ピッチと観客席を隔てる金網に人が 押し寄せられる状態になりました。

試合はキックオフしたものの異変に気付いた主審が試合を止め、試合の延期を決定、ですが、 すでに事件は起きていました。入場口が一か所しかなく仲は逃げ場がない状況ということに気づかなかった 運営側のミスにより大惨事が起こりました。 前列のサポーターが逃げ場を失い、96人が窒息死、700人以上が重軽傷を負いました。 これらの歴史を乗り越え、今のリヴァプールがあります。 アンフィールドに呼応する「You'll Never Walk Alone」にはこれらの悲劇の被害者への追悼 の意味も込められているのです。

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