霜降り明星とは


 霜降り明星(しもふりみょうじょう)は、せいや粗品からなる吉本興業東京本部所属のお笑いコンビ。
 NSC大阪校33期および東京校16期と同期扱い。2019年3月まで大阪を拠点に活動していたが、4月より東京に活動拠点を移した。







芸風


 主に漫才。コント漫才が中心で、通常のコント漫才と違い、せいやのみが役に入る。
 せいやの舞台を動き回るボケに対し、粗品はマイクの前(真ん中)でツッコむ。粗品の体言止めでの一言ツッコミが特徴。
 本人曰く、「クイズ形式になっている。ツッコまれるまで、何のボケしているかわからん状態で泳がせる。」
 ネタ作りは両者ともに行う。テーマを決めて、二人が別々に持ち寄ったボケとツッコミを出していき、パズルのように組み合わせながら作っている。
 劇場における出囃子は THE BEATLES 「Help!」








結成秘話


高校時代に学生のお笑い大会で出会い、大学時代にピン芸人として2年活動した粗品がせいやを誘いコンビを結成。

 せいやは子どもの頃からお笑いが好きで、小学生の頃に同級生と「中島ミート」というコンビを結成しテレビ番組で漫才を披露したことがあり、 中学時代もアマチュアの芸人としてテレビ出演した経験がある。

 粗品も高校時代から「粗品」の芸名を名乗り、アマチュアながら『R-1ぐらんぷり』にエントリーし 、高校3年生の時には準決勝に進出している。また、大喜利のサイトを運営していた。



 高校時代


 粗品が同級生と結成したコンビ「スペード」ハイスクールマンザイ2009で決勝進出を果たし高校生の間で話題になると、 せいやはスペードを倒したいという思いのもとコンビ「ドンパルトン」を結成し、2010年大会に出場。

 8月にイオンモール高の原でおこなわれた近畿地区予選で両コンビがぶつかり、これをきっかけに交流が始まる。
 この時はせいやのドンパルトンが優勝し、その後粗品のスペードも予選を勝ち進むも準決勝大会で両者ともに敗退。

 翌年3月開催のお笑いインターハイ2011・関西ブロック予選ではそれぞれピンで出場し、 両者ともに決勝本戦大会に進出。
 この時もせいやは前年度優勝者の粗品を倒すことを目的に参加しており、 一方粗品は予選で見たせいやのピンネタに惹かれ、これをきっかけにコンビ結成を持ちかけ始めた。

 2人は高校時代について「漫才が青春だった」と話す。



 大学時代 - コンビ結成


 粗品は同志社大学、せいやは近畿大学にそれぞれ進学。

 粗品は大学1年生時によしもとのオーディションに合格しピン芸人として活動を開始。
 また、この頃から2人で漫才コンビ「霜降り明星」として不定期で活動する。

 その後、ピン活動を続けた粗品はせいやに対し「色んな芸人や先輩後輩がいたけど、こいつが一番面白い奴。こいつと組んだら、もっと面白いネタができる」 と考え、素人のせいやを芸人になるよう誘い続けた。

 当時のせいやは国語教諭を目指していたが、粗品の熱心さに「この先の人生で、 こんなに必要とされることないやろな」と考え、正式にコンビ結成を決意。

 その直後、粗品はピン芸人として関西の人気番組『2012オールザッツ漫才』にて、若手芸人の登竜門と言われるfoot cutバトルで史上最年少の19歳で優勝。
 その際のインタビューで粗品は 「成人したらスーツ着て漫才がしたい」と語っているが、後にこれはすでにコンビ結成を約束していたせいやに向けてのものだった。

 コンビ結成後は、粗品のピンでの才能や実績から、一般人の素人であるせいやと組んだことに対する反対や解散を勧める意見を周りの人間から多く言われたが、それを振り切り霜降り明星として数々の賞レースやメディアでの活躍を果たす姿は2人ならではの真の実力である。

 粗品はせいやに自分とコンビを組んでくれたことにとても感謝しており、またせいやも、自分を芸人の道に誘ってくれた粗品にとても感謝している。このことが2人の仲の良さやコンビの絆に繋がっている。







コンビ名の由来


 2人がそれぞれ考えた単語の組み合わせで、せいやが「霜降り」、粗品が「明星」を提案。
 せいやは、最後まで「プールサイド」という単語を推していたが、粗品にスベるということで反対された。






同期芸人


 2人ともNSC(養成所)の卒業生ではないため、NSC大阪校33期および東京校16期と同期扱いとなっている。



コロコロチキチキペッパーズ

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 ハナコ

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 マユリカ・男性ブランコ
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 ビスケットブラザーズ

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 kento fukaya

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